AGU RESEARCH

世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。

  • コミュニティ人間科学部 コミュニティ人間科学科
  • 人生100年時代におけるワークライフバランスを考える
  • 小川 誠子 教授
  • コミュニティ人間科学部 コミュニティ人間科学科
  • 人生100年時代におけるワークライフバランスを考える
  • 小川 誠子 教授

男性の育児休業の取得率アップが出生率に影響を及ぼす

「仕事と生活の調和」を意味するワークライフバランスは、仕事と仕事以外の生活をどちらも犠牲にすることなく、充実感をもって双方の実現を目指す概念です。日本のワークライフバランスを語る上で、特に課題となっているのが男性の育児休業取得率の低さです※1。私が客員研究員として2002年から2年間過ごしたカナダでも、2000年時点で男性の親休業取得率は2.9%と、まさに日本と同じ壁に直面していました。ところが、その後飛躍的に数字が伸び、2009年には30%を超えたのです。

カナダにおける親休業取得率の推移

カナダ統計局(Statistics Canada)から入手したデータを基に作成

 

この成功例について、文献調査やデータ分析を用いて調べてみると、興味深い事実が浮き彫りになりました。カナダのケベック州では2006年に州独自の親保険制度を導入しました。この制度は、父親の親休業取得を強く意識したもので、これを機に父親の取得率が急上昇しました。実は、それだけではなく、合計特殊出生率※2も上昇したことが判明したのです。父親の親休業取得率が出生率に多少なりとも影響を与えているのです。これは非常に重要な事実だととらえています。

ケベック州とケベック州以外の州における親休業取得率の推移

カナダ統計局(Statistics Canada)から入手したデータを基に作成

ケベック州とケベック州以外の州における合計特殊出生率の推移

カナダ統計局(Statistics Canada)から入手したデータを基に作成

 

他にも研究対象として興味のある国は、日本と価値観が似ている韓国、そしてドイツです。ドイツも近年、父親の両親手当受給率が上がっているので、どのような政策がなされているのか調査・分析する予定です。さまざまな国に目を向けつつ、最終的には日本のワークライフバランスに対する理解醸成につなげたいと考えています。

 

※1 厚生労働省「雇用均等基本調査」によると、2007年度は1.56%、2022年度は17.13%である。

※2 1人の女性が一生の間に産むと想定される子どもの数のことで、女性の年齢別出生率を15歳から49歳まで合計したものである。

キャリア発達と不可分の関係にあるワークライフバランス

私が現在の研究に取り組むようになったのは、社会人時代の経験がきっかけです。大学卒業後、国際線の客室乗務員として約2年間働き、そこで企業内教育というものを初めて知りました。それまでは「教育=学校」という認識でしたが、企業には充実した研修施設や研修制度があり、体系的な教育活動が行われていることに新鮮な驚きを感じたのです。そこで、企業内教育について深く模索したいと考え、仕事を辞めて大学院への進学を決意しました。企業内教育は、アメリカやカナダでは「成人教育」に含まれるのですが、日本では学校教育や家庭教育以外の教育、すなわち社会で行われる教育に該当するため、「社会教育」を学べる大学院に進みました。最初に研究したのは、働くことを中心に人の成長・発達をとらえていく「キャリア発達」という概念です。そこから我が国の喫緊の課題である少子化と向き合い、同テーマと密接に絡んでいるワークライフバランスを扱うようになりました。

ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)のキャンパス

客員研究員として滞在した研究室前の桜の下で(2003年3月25日)

 

キャリア発達とワークライフバランス、双方の概念は非常に似ています。どちらも対象は働く人すべてであり、仕事と並行して育児や介護、学習活動、地域活動、ボランティア活動などに目を向ける点も変わりません。しかし大きな違いが一つあります。キャリア発達の考え方には、仕事とそれ以外の生活との関係で人間は成長するという、やや楽観的な面があります。それに対しワークライフバランスでは、仕事とそれ以外の生活との間にはコンフリクト(衝突)があることが前提です。それゆえワークライフバランスの研究は、コンフリクトを取り除くために一生懸命努力することに通じていくのです。

その努力の結果としてキャリア発達を遂げるチャンスが生じるととらえれば、キャリア発達とワークライフバランスは不可分の関係にあると言えるでしょう。また、日本ではワークライフバランスと少子化問題との関連性が高く、国の政策とも密接に結びついているため、社会的な背景に常に目を向けながら研究を進めています。

ワークライフバランスは「働き方改革」と「休み方改革」をセットで考えることがありますが、人生100年時代の今は「学び方改革」も加える必要があります。そこで着目しているのが、リカレント教育※3やリスキリング※4です。リカレント教育自体は1973年にOECD(経済協力開発機構)が提唱した古くからある概念ですが、日本では少しずつ形を変えて近年再び注目が集まっています。ただし、現状はリカレント教育もリスキリングも情報が錯綜気味なので、どのように整備して取り組んでいくべきかを精査・検討することが求められています。こうした次々と浮かび上がる新たな課題に対して、学びと発見を繰り返しながら前進していくプロセスは、研究の醍醐味であり面白さと言えるでしょう。

 

※3 社会に出た後に必要なタイミングで学び、仕事と教育を繰り返すことである。

※4 技術革新やビジネスモデルの変化に対応するために、必要なスキルを学ぶことを意味する。

学生の視点から気付かされた「小さな発見」の重要性

資料を読み解く上では目の前の数字や記述を鵜呑みにせず、調査手法を批判的に見たり、個々の回答者の状況を正しく把握したりと複眼的にとらえ、現場のリアルな声をすくい上げることを大切にしています。このような一連のプロセスを重視するのは、企業での勤務経験を踏まえ、「実社会と乖離しない研究」に重きを置いているからに他なりません。理想を追い求めることは大事ですが、現実や実態を冷静に見つめ、乖離はしないことも大切です。そこは研究者のあるべき姿勢として常に心掛けています。

冒頭にお話ししたカナダの男性の親休業取得率上昇に関する研究成果を授業で解説した時、リアクションペーパーで、ケベック州の人口(約890万人)はおおよそ神奈川県の人口と同程度で、神奈川県規模の自治体が取り組んでいると考えれば現実味を感じると書かれており、なるほどと思いました。日本と他国との比較には人口規模を考慮することも基本の一つだと、あらためて気付かされたのです。

そのことがきっかけで、ケベック州以外のカナダの他の州にも目を向けるようになり、それらの合計特殊出生率を調査していきました。すると、2022年、ケベック州より合計特殊出生率の高い州が一つだけあることを発見しました。サスカチュワン州という人口約120万人の州です。私はケベック州が州独自の親保険制度を導入したということで、「ケベックとそれ以外」という視点でしかデータを見ていませんでした。学生のリアクションペーパーのおかげで、「小さな発見」をすることができたのです。

研究は日々の小さな発見の連続であり、その積み重ねを学生の皆さんも大切にしてほしいと思います。そうした細やかな気付きのつながりが、豊かな未来を形作っていくはずです。そして、「明確な答えのない問い」に対して、粘り強く向き合う力を身につけてください。

近年は、時代や社会情勢の変化もあって時短勤務などの制度を利用しやすくなりました。そういう意味では、働き方改革は進んでいるのかもしれません。しかし、果たして「キャリア形成」や「働きがい」につながっているのだろうか、という新たな懸念もあります。「仕事と生活の両立」とは、働きやすさだけではなく、そこに充実を感じさせるファクターが欠かせないのです。一人ひとりが人間的な成長を実感し、その能力が最大限に発揮される多様性に富んだ社会の実現を目指し、これからも学生の皆さんと共に終わりなきライフワークに挑み続けます。

あわせて読みたい

  • 『ワーク・ライフ・バランスと生涯学習―すべての働く人々のために―』小川誠子著(人言洞:2024年9月刊行予定)
  • 『国際比較の視点から日本のワーク・ライフ・バランスを考える―働き方改革の実現と政策課題―』武石恵美子編(ミネルヴァ書房:2012年)
  • 『生涯学習の基礎』鈴木眞理・永井健夫・梨本雄太郎編(学文社:2011)
  • “Lifelong learning and demographics: a Japanese Perspective” Seiko Ogawa “International Journal of Lifelong Education” 24(4), 2005, pp.351-368.

青山学院大学でこのテーマを学ぶ

コミュニティ人間科学部 コミュニティ人間科学科

  • コミュニティ人間科学部 コミュニティ人間科学科
  • 小川 誠子 教授
研究者情報へリンク

関連キーワード

関連コンテンツ

  • 法学部 ヒューマンライツ学科
  • LGBTQの人権問題を
    法学分野から法解釈の視点をもって掘り下げる
  • 谷口 洋幸 教授
  • LGBTQの人権問題に関する本格的な議論は1980年代にヨーロッパで起こり、世界へと波及したが、日本においてはまだ十分とは言えない状況だ。谷口洋幸教授はこの問題に法解釈学の視点から向き合い、国際的な人権規範の解釈が日本の法解釈に与える影響について、歴史や社会とのつながりを念頭に研究を進めている。LGBTQに限らず、人権問題を個人の意識や感覚という側面のみからとらえると根本的解決から遠ざかってしまう。私たちはどのような視座に立つべきなのだろうか。

  • 地球社会共生学部 地球社会共生学科
  • 掲載日 2024/05/10
  • 持続可能な平和のため、一人ひとりの信頼に基づく和解を追究する
  • 熊谷 奈緒子 教授
  • 世界では一度停戦しても、再び対立や衝突が起きるケースが後を絶たない。こうした国際社会における衝突が「和解」にたどり着くために必要な条件を、熊谷奈緒子教授は謝罪、赦し、記憶、補償、正義などの意味を探りながら研究している。東アジアや欧州で起きた過去の事例を参考に、被害者・加害者間の信頼関係を取り戻す道筋を模索してきた。 負の感情を乗り越えて持続可能な平和を構築するために、歴史を直視し、当事者一人ひとりの心の声に耳を傾ける姿勢が求められている。 (2024年公開)

  • 文学部日本文学科
  • 先端的なコンピューター技術を駆使した
    データサイエンスで読み解く
    謎に満ちた古典語の世界
  • 近藤 泰弘 教授
  • いま、教育の現場では、文系・理系の境界を超え、お互いの学問領域を横断しながら学ぶ「文理融合」の考え方が広まりつつある。1970年代からコンピューターによる日本語学の研究にいち早く着目し、まさしく文理融合を実践してきた文学部日本文学科の近藤泰弘教授は、最先端のコンピューター技術で最古の古典語の謎に迫るべく研究を続けてきた。近藤教授が見据える、これからの人文学研究に求められる人材や発想力とは何か。(2022年掲載)

関連コンテンツ

  • 法学部 ヒューマンライツ学科
  • LGBTQの人権問題を
    法学分野から法解釈の視点をもって掘り下げる
  • 谷口 洋幸 教授

  • コミュニティ人間科学部
    コミュニティ人間科学科
  • 「感受性」と「勘」から
    教育と社会のありようを紐解き、課題の解消を目指していく
  • 西島 央 教授

  • 文学部
  • 文学は、私たちの<生>を支える
  • 土方 洋一 教授