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世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

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  • 文学部
  • フランスにおける「表現の自由」
  • 濵野 耕一郎 教授
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「私はシャルリ」

昨年(2015年)1月7日、フランス・パリで、風刺画を売り物にしている週刊新聞『シャルリ・エブド』のオフィスが、イスラム過激派の男二人に襲撃され、12人が死亡、多数の人が重軽傷を負うという事件が起きました。有力日刊紙『ル・モンド』が「フランスの9・11」と表現するほど、この事件はフランス国内外に大きな衝撃を与えました。

 

事件から4日後の11日には、事件の犠牲者を追悼するデモがフランス全土で行われ、370万人もの市民が参加。パリでは「私はシャルリ」というプラカードを持った市民ら160万人が大通りを埋めつくしたといいます。「私はシャルリ」というこの文言には、『シャルリ・エブド』の痛みを我がものとして受け止めるという思いだけでなく、表現の自由を死守しようという強い意志が込められているのです。

事件によってその名が世界中に知られることになった『シャルリ・エブド』ですが、もともとは決してメジャーな新聞ではありませんでした。政治的・宗教的権威に対する挑発的な風刺画やジョーク、パロディを掲載する風刺新聞ですが、発行部数は週3万程度。風刺画それ自体をとってみても、お世辞にも品があるとはいえない媒体でした。『シャルリ・エブド』は、預言者ムハンマドを茶化す風刺画も度々掲載しており、これに反発した一部のイスラム過激派が引き起こしたのが今回の事件だったのです。

 

日本では事件を受け、「テロは決して許されるものではない」と前置きしたうえで、「表現の自由を盾にとって、何を言ってもよいのか」と、『シャルリ・エブド』の編集姿勢に批判的な見解を口にする論者も多く見られました。しかし事件直後のフランスでは、表現の自由の「限度」をめぐる議論はほとんどなされなかったといいます。自由に制限を設けること、つまり自由を自由でなくしてしまうことは、大半のフランス人にとって問題外の要請だということなのかもしれません。

表現の自由と権力批判

では、なぜフランスにおいて、表現の自由がここまで絶対視されるのでしょうか。その理由は、フランスのこれまでの歴史にあると言えるはずです。大雑把に言って、フランスでは長い間、王権と教権がときとして手を結び、ときとして激しく対立しながら、ひとびとの富と自由を搾取する力として君臨していました。18世紀末の大革命(フランス革命)が、王の首を刎ねるだけでなく、非キリスト教化運動の激発を伴ったのもそのためですが、大革命が勃発するずっと以前から、権力への反抗が始まっていたことも忘れてはならないでしょう。

 

例えばフランス・ルネサンスを代表する16世紀の作家ラブレーは、抱腹絶倒の書『パンタグリュエル』や『ガルガンチュア』において中世神学の牙城パリ大学神学部を風刺し、17世紀の喜劇作家モリエールは戯曲『タルチュフ』で、宗教的偽善を痛烈に揶揄しました。また、カトリックによる弾圧や横暴と闘った作家・思想家としてはヴォルテールが有名です。彼の活躍した18世紀には言論弾圧も未だ強力でしたが、それをくぐりぬけるかたちで王権・教権に批判的な世論が形成され、世紀末の大革命を引き起こす原動力となっていきました。

 

フランス人には、批判精神を(ときとして命がけで)表現し続けてきたからこそ、自由を勝ち取ることができたのだという矜恃と信念があります。フランスに共和政が定着したのは、1870年に始まる第三共和政以降のことになりますが、19世紀は産業技術の革新と識字率の向上によってジャーナリズムが隆盛をきわめ、七月王政やカトリック教会を辛辣に揶揄する風刺画を掲載して人気を博す新聞も出現します。権力に屈することなく、支配者層に対する批判的見解を表明し続けることが、自分たちの勝ち得た自由の源泉なのだという信念は、長い戦いの歴史を経て培われた非常に強固なものなのです。表現の自由がテロという暴力によって脅かされたことに民衆が反発し、1月11日にあれほど多くのひとびとが街路に降り、フランス全土でデモが繰り広げられたのは、こうした歴史的背景があったからです。

表現の自由とイスラム叩き

しかしながら、フランスにおける言論と表現の自由は、実は絶対的なものではありません。先に述べたことと矛盾するようですが、フランスでは表現の自由に明確な法的限定が加えられているのです。1881年に制定された出版の自由に関する法が、この自由の行使を「他人を害さない」範囲に限定したことに始まり、1972年の人種差別撲滅法、そして1990年のいわゆるゲッソ法は、人種差別的表現、とくに反ユダヤ主義的表現や否定主義的言説(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺を否認する言説)を厳しく禁じています。ユダヤ人が生きねばならなかった受難の歴史を重く受け止め、またアンチ・ユダヤ的イデオロギーが今も一部で根強く支持されていることを考慮するなら、ユダヤ人を標的とする言論に一定の節度を求めることは、決して理不尽な要請ではないはずです。ただ、ユダヤ人を相手に言えば法的に罰せられることを、(フランスにおいて同じようにマイノリティーであり、弱い立場にある)イスラム教徒には浴びせて構わない————そうなると事情はかなり複雑化します。

 

『シャルリ・エブド』事件から1週間後、全国放送のラジオ番組で次のように口にしたメディア経営者がいたそうです。「現実を直視しよう。現在のフランスで、問題はムスリムだ。」「すべてのムスリムがテロリストではないが、すべてのテロリストはムスリムだ。」フランスのある政治学者がインタビューに答えて言うように(このインタビュー内容は、http://toyokeizai.net/articles/-/58902 で読むことが可能です、もし同じ人物が「問題はユダヤ人だ」と口にしていたら、大変な物議を醸していたはずです。しかし、ムスリムについてなら、こんな暴言を吐いても罰せられないのが現状なのです。

 

「私はシャルリ」と口にして追悼デモに参加した人びとのなかに、こうしたダブル・スタンダードに自覚的な人がどのくらいいたかは分かりません。ただ、自覚的であった人もそうでなかった人も、追悼デモの直後にデュドネというコメディアンが引き起こした騒動には、冷や水を浴びせられる思いをしたのではないでしょうか。デュドネは11日の大規模デモに参加したあと、自らのフェイスブックに「ぼくはシャルリ・クリバリのような気持ちだ」と書き込みました。クリバリとは、『シャルリ・エブド』事件の犯人たちと連携して行動し、パリ近郊にあるユダヤ人学校近くで女性警察官を射殺したのち、籠城したユダヤ系食料品店で4人を殺害した男の名字。デュドネはこの名字とシャルリを結びつけることで、「私はシャルリ」を合い言葉に集結した人びとの連帯(および、その過剰な演出?)を挑発的にからかってみせたわけですが、そのことで警察に連行され、拘束されてしまったのです(この騒動についても、上に挙げたインタビューで触れられています)。

 

当局が過敏に反応したのは、一連のテロ事件の直後という緊迫した状況によるところも大きかったでしょうし、そもそもデュドネがある時期からユダヤ人を嘲弄する言動を繰り返し、当局から目をつけられていた人物だったことも心理的に作用したはずです。ただどのような事情があったにせよ、デュドネ逮捕の一報は、フランスにおける表現の自由に明確な限度があること、その結果手厚く守られているマイノリティーと揶揄・中傷に無防備に曝されるマイノリティーの二元化が生じていることをはっきりと意識させてくれました。結局のところ、「私はシャルリ」を大合唱し、表現の自由を声高に主張する人びとによって擁護されたのは何だったのでしょうか。もしそれが、(建前上はどうであれ、現実的な面で)イスラム風刺を無節操に垂れ流しにする自由だとしたら、あまり笑えた話ではありえません。

 

月刊誌『ふらんす』は、『シャルリ・エブド』事件をさまざまな角度から考察する特別号を3月に発行しましたが、そのなかには、事件から9年前、『シャルリ・エブド』誌に掲載された声明文に触れた記事があります(にむらじゅんこ「シャルリとは誰か —— アンチ・レイシスト? ウルトラ・レイシスト?」)。世界が直面する新たな全体主義の脅威としてイスラム主義を名指しするこの声明文は、「《イスラム嫌い》を助長するおそれがあるからという理由で批判精神を失うことを拒否する」としたあと、次のように続けています。「批判精神がすべての大陸で、あらゆる悪習と教義に対して行使されるよう、わたしたちは表現の自由の普遍化のために論陣を張る。」

 

記事の筆者も言うとおり、この声明文はかつての植民地主義イデオロギーを彷彿とさせます。「劣った民族」を(しばしば力によって)制圧することが、「文明化」ないし「文明化の使命」の名の下に正当化されたように、イスラム叩きが、批判精神と表現の自由の普遍化という口実によって正当化されているのです。ポスト植民地主義の時代といわれる今現在でも、自分たちを「優れた民族」と位置づけて憚らない思考の構えが、一部に根強く生き残っているということかもしれません。

表現の自由と風刺の機能

大革命以前のフランスにまで遡って見たように、表現の自由(そしてその行使形態としての風刺)は本来、権力者の不正を前にした弱者の側の対抗手段であるはずです。その限りにおいて、言いたいこと、言うべきことを「自粛」するような態度は、弱者を「自滅」へと導くおそれのある、あってはならない選択のはずですし、かかる自粛を強いるような圧力には、絶えず抗う必要があるでしょう。

 

そのことを確認した上で、先の声明文を掲載した『シャルリ・エブド』のイスラム風刺に関して言えば、果たしてそれが強者に対する弱者の武器として機能しているかどうかは、甚だ怪しいと言わざるを得ないでしょう。表現の自由は『シャルリ・エブド』にとって、権力者を戯画化して笑い飛ばす手段であるというよりは、これまでも少なからぬ差別と偏見に苦しめられてきたムスリム(「現在のフランスで、問題はムスリムだ」云々)を傷つけ貶める口実となっていたのではないでしょうか。弱者を追い詰める風刺は風刺ではなく、陰湿ないじめの手段でしかありません。事件後の大規模デモでその市民権を再確認された恰好になった『シャルリ・エブド』ですが、今後も無自覚なままいじめに溺れていくなら、その存在価値は自ずと損なわれる結果となるはずです。

 

1月11日の大規模デモは、デモに参加した多くの人びとだけでなく、テレビやインターネットでその様子を追った世界中の人びとの心に刻まれる感動的な光景だったと思います。ただしその光景に心奪われることがあったにしても、表現の自由を死守しようとする「感動的な」訴えが覆い隠している不正や矛盾には、今後も注意を払っていく必要があるのではないでしょうか。

 

(2015年掲載)

あわせて読みたい

  • 『ふらんす』 特別編集「シャルリ・エブド事件を考える」(2015年3月)
  • 『現代思想』 臨時増刊号「シャルリ・エブド襲撃 / イスラム国人質事件の衝撃」(2015年2月)

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文学部

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  • 濵野 耕一郎 教授
  • 所属:青山学院大学 文学部 フランス文学科
    担当科目:フランス語速読、フランスの文化と社会、フランス語文法、特別演習(卒業論文)、フランス文学演習(3)(イヨネスコ研究)、フランス文学演習Ⅱ(8)(イヨネスコ研究)、20世紀フランス文学・語学演習Ⅰ・Ⅱ(バタイユ研究)(院)、研究指導演習Ⅰ~Ⅹ(院)、研究指導演習Ⅲ(再)(院)、研究指導演習Ⅳ(再)(院)
    専門分野及び関連分野:フランス文学, 20世紀フランス文学・思想, フランス思想
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